はじめに


Remember KOBE for me

 私の書棚に黒い表紙のアルバムが1冊あります。その表紙には、Wonderful KOBEとだけ書かれています。

◆  ◆  ◆

 話は20年ほど遡ります。1975年の神戸、都市計画の道路拡張のためにトアロードにあった異人館J.R.エレオット邸が取り壊されました。それに前後して、危惧されていた異人館保存がそれまでにも増して叫ばれるようになりました。建築関係者の中には、老朽化し壊されていく異人館を外観からスケッチし、間取りを記録するような地道な活動をしている人もいました。そんなことを知った私は、好きな街並の思い出を少しでも残しておきたくて、通学途中のバスを降り、北野町の写真を1本撮りました。

 1977年、NHK朝の連続ドラマ「風見鶏」が始まり、突然異人館ブームが起きました。それまで、放置され朽ちる一方だった異人館が修復、保存されるようになったのはよかったのですが、街の一部だった異人館は観光施設となり、普通の舗装道路がいつの間にかタイル敷きに変わり、洒落た街灯やモニュメントが設置されました。ブティックを始め、さまざまな店が次々とでき、住宅街ではなくなっていったのです。
 いえ、私が知っている北野町は普通の住宅地というよりも、ラブホテル(当時の表現)の街でした。異人館を訪ねるにはその間を歩き回らねばならず、若い私には気が引けたものです。それが異人館ブームと共にラブホテルは退去し始めました。その人気は、1981年のポートピア博を経て、1995年1月の阪神大震災に至るまで続いていたと思います。

 異人館ブームで観光客が増え街が変わり始めた頃、1978年から1979年だと思います。何か割り切れぬ思いを抱いた私は、街が変わってしまう前にと、夏と冬、それぞれ神戸の街を歩いて、追加の風景写真を意識的に撮りました。といっても、それぞれ1本だけです。その100枚ほどの写真から気に入った70数枚をまとめたのが、黒い表紙のアルバムです。

◆  ◆  ◆

 震災前、街は既に当時と比べ随分と変わっていたはずです。例えば、私の知る風見鶏の館は、南側に接するように建つラブホテルのため、海は見えず、その全体を写真に撮りにくかったのですが、ホテルの建物は消えて公園に変わり神戸市街や海が望めるようになっていたはずです。北野坂も、私の知っている時代はそのホテルの名前で呼ばれていました。
 さらに、震災後、建築後100年前後を経た洋館の傷みはひどく、修復が難しい異人館もあるという報道を聞きます。

 ホームページには、アルバムの写真をほぼそのまま掲載しています。私自身のために残した、十数年前の素人写真ですから、インターネットが身近にならなければ、大勢の方にご紹介することはなかったと思います。付記したメモは、私の記憶と、書棚に残る本やスクラップを参考にしました。このホームページ作成のための調査、確認は一切していません。記憶に頼ったため誤った記述もあるかもしれませんが、ご容赦ください。今神戸を離れている私は震災以後の様子を知らず、あえて当時の気分で記させていただきました。私の中の神戸なのです。

かつて神戸に住んでいた方に
神戸の異人館を観光に訪れたことのある方に
震災以降初めてボランティアや仕事で行かれた方に、
そして、神戸を知るすべての方に・・・・

異人館街がさほど観光化される前の、
神戸の住人にとって身近だった頃の様子を

少しばかり思い出していだけたら、
見ていただけたら・・・・


1995年12月 KAWAKAMI Hirohisa


 阪神大震災では、同級生の一人が亡くなり、親族の家も壊れました。失われた6,000人以上の生命のご冥福を心からお祈りいたします。
 すべての写真、画像の著作権はKAWAKAMI Hirohisaが有しています。ネガも残っていますが、アルバムのプリント写真をスキャナーで撮り込んだので、退色や黄ばみがひどい写真があり、Photoshopで加工しました。

参考文献:朝日新聞神戸版連載「近代洋風建築」1979.5〜1979.6
     神戸異人館,広瀬安美著,カラーブックス415 保育社,1977.12.5
     史跡と坂のあるまち・神戸散歩,神戸市役所,1978.3
     えほん「神戸の港と船」,倉掛喜八郎,神戸新聞出版センター,1981.2.20
     異人館で配布されていた神戸市教育委員会資料類(1978〜79年と推定)
     その他朝日新聞/神戸新聞スクラップ(日付記録無し,1975〜79年と推定)


戻 る


 (c) KAWAKAMI Hirohisa